失敗と成功との違い

悪い結果の原因を分析したとしても、成功には繋がらないと思う。繋がるとすれば、悪い結果と良い結果とが表裏一体の関係のときであり、すなわち失敗しないことが成功でなければならない。

同様に、悪い結果の原因を分析し続けることは、結論の強化でしかないと思う。人間、やはりどうしても環境に強く依存してしまうもので、そして自己防衛的にも外に原因を見出しやすい。悪い結果を受け入れるために、外に原因を求め、自分のせいではないと言い聞かせてしまうことは多い。

 

上記の考えは、原因は結果があってこそ見えるもので、結局、結果の後付の設定でしかないというものに由来する。確かに原因分析によって、いくらか時間を遡行することはできる以上、全ての原因分析が結果論で無意味なものであるとは思わない。ただそのように遡行して得られた「あるとき」は、もともとの「あるとき」よりずっと小さいのは間違いは無い。

もともとの「あるとき」は、今の結果から見えるよりもずっと豊かな、別の結果を導く可能性を持っているはずである。今、残念ながら私は、世の中は決定論だという考えを打ち砕く程の学は持ち合わせていない。ただ、在るということは、それを説明するどのような情報よりも豊かなものだと信じている。

 

だから、もし思うような結果を得ることが出来なかったのだとすれば、なぜその方に曲げることができなかったのかを考えることが重要であると思う。それは一人の「私」について言えば、基本的なインプットは変えられない以上、アウトプットの質を変えようとすること。結論を受け入れるために考えるのでなく、結論に抵抗する為に考えること、に該当する。

そうした環境や属性(生まれ、学歴、職業)のみに依存しない自分をいかに形成していくか。環境というのは、自分の思うように簡単に変えられるものではない。だからこそ、基本的なインプットは変わらない中で、アウトプットの質を変えていくことが大事となる。そのための一つの方策が、インプットに対するアウトプットの繋がりが弱い(弱いつながり)、ノイズを「私」に蓄えるための旅なのだろうと読んだ。

 

弱いつながり 検索ワードを探す旅

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