どうせ忘れる資格の勉強は無駄か

 今日、資格試験を受けてきた。TOEICを除くと、3年前に取得した運転免許試験以来な気がする。

 

 資格試験(職に直結する場合は除く)についてよく思うことは、合格のための知識を一時的に蓄えて何になるのか、ということ。試験から一ヶ月も経てば、すっかりと抜け落ちてしまう知識を詰め込むことにどれだけの意味があるのか。調べさえすればわかる知識を一時的に記憶することにどれほどの意味があるのか、と。

 一つの分野の専門を持つということについて私は、その分野についての膨大な情報を適切なふるいにかけることができるということでもあると思っている。隅から隅までその分野のことを知っているということでなく、知らないこと新しいことに対してそれが胡散臭いか尤もらしいかを上手く嗅ぎ分けることが出来るということ。

 その嗅ぎ分けによる正否の判断は、自らが持ち合わせている知識や経験と照らし合わせて矛盾がないか逐一探索することにより行われているのではなく、殆ど直感とも言える判断によって行われているように思う。上司でも先輩でも、凄いなと思う方は私が困り相談した内容について詳細を知らずとも瞬時に真っ当な判断出来てしまう。そうなったとき私に残される課題の殆どは、その実際の確認と根拠の築き上げとなるわけだ(笑)。

 そういうわけで、資格試験の勉強でただの知識以外に何かを得ようとするのなら、問題と答えとを一対一で覚えること、問題に対して詰め込んだ知識からひたすらに探索するように答えることは避けたほうが良いと考える。勿論、始めは仕方がない。しかしそれら答え方は、知識がないときの情報の取捨選択の仕方から非常に遠いことを忘れてはならない。あれこれ考えずにして「なんとなくこれが答えな気がする。」そうした知識にべったりと貼りつかない勘を少しでも働かせることができるようになるまで勉強するのが良いと思っている。